アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージへの謝辞

みなさんは相も変わらずインターネットで性器の名称であったりだとか、排泄物の呼称、つまりその、うんこだのしっこだのという単語を書き散らしているんでしょうけれども、僕の方はといいますと、最近はめっきりそういう気にもならなくなってしまいまして。人間こうまで変わるのかと、自分でも信じられなくなっています。

まあこの年にして無職ですから、そらそんな気もなくなるっつーの!!この先どうするんだっつーの!!ばーか!!ばーかうんこ!!うんこちんこ!!

 


 過去を、例えば今までの記事を軽く読み返してみれば、何が楽しくてあんなにチンポがどうとかうんこがどうセックスがどうと脊髄反射的に書き込んでいたんだろうと不思議に思う反面、あの頃の僕はもうどこにも居ないんだ……なんて、少し寂しい気持ちを抱えセンチメンタルになってみたり。でも、きっと大人になるというのはこういう事なんでしょう。いやいやいや、齢三十をとうの昔に超えておいて今更大人になるとか言ってるの、どうなの?大丈夫?

 んなわけで、なんかもう人生どうでもよくなっちゃって、ムシャクシャして、シコった時に使用したティッシュを部屋のその辺に無造作に放り投げて、そのままにしておくじゃないですか。じゃないですかって書いたら、まるでいつもそうみたいな誤解をされそうなんで弁明しておきますけど、毎回そうじゃないからな。シコティッシュその辺に散乱させすぎて家族に怒られたり、なんかこの部屋臭いって言われたりとか、してねーからな!!で、そのティッシュなんですが、数日後にはカッピカピになってるわけですよ。汚い話で申し訳ないんですけど。
なんていうかセミの抜け殻みたいなんです。夏場、地面に落ちている。いや、どちらかと言うと残暑を乗り切れなくて、木の下でひっくり返ってるセミの死骸に近いかもしれない。カピカピになったシコティッシュからは、そんな物悲しさを感じ取ることができる。つまりチンポはセミ製造機……?チンポの季語は夏……?
 ということを、部屋中に散らばったカピカピのソレを見て思い、と同時にふと急に、子どもの時のことなんかがフラッシュバックして。
 小学生の頃、夏休み中は木が生い茂った神社にみんなで集まってラジオ体操をしていた。時刻は朝六時半。まだ眠たくて言葉数はいつもより少なく、体操が終わったらサッと帰る。家について朝ごはんを食べて、気づくと10時くらいになっていて、そこからコナンの再放送をぼーっと見る。そんな毎日だった。お盆も終わる頃になると、セミの抜け殻や死骸があちこちにとっ散らかっていて、どうしてもフォルムを受け付けることができずセミが嫌いだった僕は、それを避けることを第一に、ジグザクにぎこちなく歩いていた。あの頃の世界はすごく単純だった。大きい虫を持っていればすごいとか、ラジオ体操や開放されるプールを一日も休まないとすごいとか、出たばっかりのゲームを持っていればすごいとか。
 当時から僕は先のことなど何一つ、一ミリも考えてなかったけれど、それでも漠然と、未来に希望を持っていて。セミが地中から出てきてミンミンと鳴く要領で、僕の股間セミも皮の中からでてきてチンチンって鳴くのかななんて思っていたのに、、、
なあ、、、なんでなん?なんでチンチン、皮から出てけぇへんの……?チンチンゼミじゃのうて、ペニモグラさんやったん?なるほど、だからちんちんの先っちょがモグラの鼻先みたいなんですね〜〜〜ってやかましいわ!!!

今じゃあカブトムシもクワガタも、どうも怖くなってしまった。触ることはもちろん、直視することもできなくなっちゃって。何が怖いかはわからないのだけれど、そんな自分に寂しさを覚え。
 過去と決別するということは、前を見て歩を進めるということで、それは成長でありきっと良いことなのだ。過去に囚われたり、引きずる必要などない。人間っていうのはそうやって大人になっていくんだと思う。でもさ、それってつまり、あの時の僕がこの世のどこにも居なくなってしまうってことでさ。砂浜を裸足で歩き続けたら、足跡は波に呑まれ、後ろを振り返ったときには消えてしまっているときの寂しさと似ていて。そんな必要はないのに、つい立ち止まって後ろを振り返ってしまい。過去を断ち切れず、本当に先に進むことが正しいのかと自問自答してしまう始末。そんな事だから僕は未だに独身で、無職で、包茎なのかもしれない。後ろを振り向くな、ちんこを振り剥け。思いっきり、甲子園球児が全力でバットを振り抜くみたいに。そういうことなのだろうか。

なんてことを考えていたらなんだか急に悲しくなって、セミもといシコったティッシュを本当に処分していいのかって迷っちゃって……。
 はい、そうです。ただだらしないだけです。本当に申し訳ございませんでした。はい。ええ、きちんとシコったティッシュは処分します。はい、近日中に。

 というわけで、本題に入りたいんですけど。いい加減良いですか?毎度毎度前置きが長いんだよな。こんな汚い話してる場合じゃあねぇんだわ。
アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージっていうアプリがありまして。オタクのみなさんは当然ご存知でしょうし、全キャラクターの名前を諳んじて言うことぐらいのことまではできるとは思いますが。
そのアプリを一ヶ月くらい前に消しました。特に深い理由があったわけでもないのだけど、最近はログインするだけになっていて、たまに気が向いた時にだけ、イベント終了日に走ったり。その頻度さえも徐々に減りつつあって、急にふと、昔あった熱意がこの先戻ることはもうないなと思い、半ば衝動的に消してしまいました。とはいってもバックアップはしっかりとってはあるんですけれど。

 アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージについて言えば、毎月決まって幾らか課金する程熱があるユーザーではなかったし、優柔不断すぎて特別好きなアイドルもいなかった。ライブに行くとかCDは欠かさず買うとかそういうこともなければ、アイドルマスターというコンテンツに特別思い入れがあったわけでもなく。沢山課金している人が偉いとは思わないけれど、そういう点から言えば、本当にダメなユーザーだった。とは言っても、思い入れが全く無いわけでもない。
 僕がこのアプリをダウンロードしたきっかけは、リリースされてから半年後くらいの事で、体調を壊して仕事を休んでいた時だっただろうか。あまりに暇すぎて、ダウンロードをしたことから始まる。最初はわけがわからなくてイベントとかもままならなかったし、プロをなんとかクリアできるかできないかというレベルだった。マスターをクリアできる人とか指どうなってるんだろうマジで気持ち悪いなって思うぐらいに初心者だったのだけれど、毎日やっていると面白いもので今まで音ゲーなんて一度もやったことがなかったのに、日を追うごとに少しずつ少しずつできるようになり、最終的にマスターの25~26あたりまではフルコンでクリアできるようになった。まあそこら辺までが限界だったけれど。

そこから一年半後くらいまでは朝の仕事に行く前や仕事の休憩時間も時間を費やす程度には熱心に遊んでいた。仕事の休憩時間はミュート状態で遊んでいて、え、それ一体何の意味があるの……?って感じなんですけど、兎に角それくらいハマっていた。
 会社の人にも勧めて、何人かで、イベントの順位とかフルコンの数を競ったり、シンデレラフェスが来るたびに仕事終わりに一緒にガチャをぶん回して爆死して慰め合ったり、楽しい日々を過ごせた。ダウンロードをして一番最初に訪れたシンデレラフェスで爆死して、ソシャゲに慣れていなさすぎて、マジでムキになり三万円くらい課金したこともあった。それがあったから今の今まで消すに消せなかったのかもしれない。僕の社会人時代はアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージと共にあったということだ。

 僕は基本的にナメた人生を歩んできた。スポーツ系の部活に所属していたことはおろか、まともな運動経験などはなく、何かに一生懸命、コツコツと打ち込んできたものはなかった。しかし、たかがゲームではあるけれど、デレステを通して、毎日コツコツ続けると、たとえ0からのスタートでもある程度までにはなるし、継続って本当に大事なんだなと学ぶことができた。また一発勝負の怖さ、ここ一番というときのヒリつく緊張感を経験することもできた。
始めた当初こそ全然上手にできなけど、ゲームにある程度慣れると次第にフルコンを意識するようになった。ゴールが近づいてきたときの心臓のバクバク感や指の震える緊張感は今までどこでも味わったことのないものであったし、最後の最後、あとちょっとでフルコンでクリアという時に限って、普段だったらしないミス、もしくは今まで一回もしたことのないような場面でミスをしてしまうといった事はしょっちゅうで、己の心の弱さを学べた。
いざという時に100%の実力を出せることのほうが少ないということ、どんな時でも80とか90%の実力を出せるようにするために、日頃の積み重ね、常に本気で挑むことの大切さを学んだ。
もう少し早く、十代の頃にでもそれを学んでいれば、もう少しまともな人生を歩んでいたかもしれない。でも、きっとそれは無駄ではないし、それを教えてくれたアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージにはとても感謝している。今までありがとうございました。