カワイイ論

包茎おちんちんはカワイイ

 

包茎おちんちんはカワイイ。ハムスターみたいでカワイイ。包茎おちんちんはカワイイ。恥ずかしがり屋さんなところがカワイイ。包茎おちんちんはカワイイ。包茎おちんちんであることに恥じらいを覚えていて、それが無性に愛おしくカワイイ。包茎おちんちんはカワイイ。つんつんすると、だんだんとふっくらしてくるからカワイイ。包茎おちんちんはカワイイ。まるで蕾のようで、いつかきっと咲き誇るんだなんて期待を胸いっぱいにしているところがかわいい。包茎おちんちんはカワイイ。ハムスターが食べ物を溜め込むみたいにチンカスを溜め込むからカワイイ。って流石にそれは汚ねえよ!

 

よく、何かにつけてかわいいと口にする女性がいる。なんと嘆かわしいことなのだろう。自らにかわいさを求めたばかりに過度なダイエットにより、日常的に精液でしか栄養補給をしなくなってしまったせいで、脳が正常に働かなくなり、語彙力が著しく低下してしまい、それしか言えなくなってしまったのだろう。

 

僕はこの、かわいいという言葉が好きではない。どういう意図で言ったのかも理解しづらいし、ただただ会話の間を埋めるために放り込まれた存在のような気がして、ひどく雑に感じるからだ。まるで、おちんちんなんて擦っておけば気持ちいいんでしょと言わんばかりの雑さ。
違うんだよ!!そうやって雑に扱われていることに僕のおちんちんが反応しているだけで、雑な擦りという行為自体は別に気持ちよくねえんだよ!!!!

 

……コホン。話をもとに戻しますが、とにかく、何かにつけてとりあえずカワイイって言うのってどうなの?というわけです。まあ僕なんかはカワイイなどといわれることは一切なくて、よくきもいと言われのですが、ぶっちゃけきもいだけじゃ興奮できない。もっとこれこれこういうところが気持ち悪い、本当に嫌だ、生理的に無理、二度と視界に入らないで欲しい、ゴミ、カス、クズ。くらいをきちんと嫌悪感丸出しの表情を添えて言われないと、僕のおちんちんだって元気にならない。カワイイだってそれと一緒だ。もし相手に気持ちを伝えたいと思っているならやめたほうがいい。いいか?カワイイの一言じゃチンポは勃たねんだ。

 

まあかわいいの意図を読み取れない僕がわるいのかもしれない。そんなんその場の空気で判断しろや!みたいなのあるかもしれないし、もしかしたら僕以外の人はみんなどういう意図なのか汲み取れているのかもしれない。でもさ、そういう、直接言わなくてもわかるよな?意図を汲み取れよ?みたいなの、日本人の悪い癖ですって絶対。
エス・ノー枕じゃないけど、気持ちははっきり伝えて欲しい。会った瞬間にセックスしてもいいと思っているのかノーか、それくらい相手に伝えてなんならそのままセックスへ移行、その後でようやく自己紹介みたいな世の中になって欲しい。言いたいこととはきちんと口にしないと伝わらない。フェラチオだって口でするんだから、言いたいことくらいはっきり口にして欲しい。だから言わせてもらいますが、今日3日ぶりにおちんちんを擦ったら脳みそ解けるくらいきもちよかった。

 

たしかにカワイイ一言で済ますことができるのは便利だ。とりあえず言っておけば、相互間で意図や認識に多少の差異があっても、わかる、カワイイよね〜とコミュニケーションが成立するし、相手もカワイイと思っていて、自分もカワイイと思っているということで仲間意識が高まるかもしれない。

だがそれで良いのだろうか。何にでもカワイイに頼ることで生じる語彙力の低下。危惧せずにはいられない。
このままいくと日本人も、ユナイテッドステイツオブパイズリ、通称アメリカとかいうハンバーガーとピザのみを摂取し続けて結果思考を巡らせることが出来なくなり、ハンバーガーとピザ以外は家畜の餌!好きなスポーツは戦争!HAHAHA!みたいになってしまい、あげくセックスするにもアナルを性器と混同してしまい毎回毎回アナルセックスをしちゃう、脳みそスカスカになりすぎて呼吸と同時にファックと言わなきゃいければ死んでしまう、何かにつけてファックの一言で済ませてしまう、そんなふうになってしまう。

 

言葉というのは河川に例えることができると大学時代に学んだ。河川が地形や環境、人の手などさまざまな要因で、枝分かれしたり、広くなったり、氾濫したり、枯渇してなくなったりするように、言語も例えば異民族による侵略で失くなったり、逆に国家の統一である言語の使用領域が広がり、それに伴い言語を使う人も増えたり。川が枝分かれしていくように、一つの言語を取ってみても様々な方言があったり。時代とともに新しく使われるようになる言葉、使われなくなってしまう言葉もある。よく言葉は生き物だともいうけれど、常に流れ続けている河川のようにも例えることが出来る。
正直うろ覚えだし自分なりの解釈も入っているのですが、こんなような感じの内容だった気がする。

 

だとしたら、言葉を扱う僕たち人間は、時代の流れ、その川の流れに任せて言語を使用するべきなのかもしれない。川を逆流したって苦しいだけで、何も生まれないし、ひどく滑稽なことだろう。
そういう点から考えると、世の中がそういう流れになっている以上、カワイイがどうのなどと、そこに文句はつけるべきではないし、間違っているのは僕の方なのだろう。ならば僕は鮭になろう。イクラに精液をぶっかけて人魚を産もう。人魚のすべすべの鱗におちんちん擦りつけて、おちんちんの先からすべすべの何かを出そう。人魚と水中でセックスしようとして窒息しそうになり、
おちんちんだけを水上に突き出して、おちんちんの先から空気を吸うことの出来る人間になろう。

最後に一言言わせていただくと、ぼくのおちんちんはカワイイ。