きちんと自分の頭で考えるということ

Advent Calendar、12日目

 


最初に、これは誰かに向けてというより、どちらかと言うと自戒に近いものだ、という前置きをしておきたいと思う。

あくまで例えばの話なのだけど、もし、もし僕がフェラチオタヌキだか村上春樹だったら、おそらくインターネットでやれちんこがどうだのアナルがどうだのと書き散らしても悪く言われることないのだろうし、沢山の人に読まれた上に、さすが!とか着眼点が違う!とか言われるのだろう。
そこだよ、そこ。
僕たちにはそういう部分が間違いなくある。権威主義的とでも言えば良いのだろうか。デカイマラを咥えろだったか長い物には巻かれろだったか忘れちゃったんですけど、そういう言葉もあるように、あの人が言うなら……と著名人の事を盲信しがちなのだ。

まあノーベル文学賞候補の村上春樹と、毎日昼間も夜も肉体労働に勤しんでいる(夜は主に陰茎の研磨作業に従事)僕を並べるが間違っていて、そんなもしはもしであっても許されないというのはわかっています。例え話としてそこまで深く考えずに名前を出しただけっていうか、フェラチオタヌキって言いたかっただけなんで、そんな目くじらを立てずに、許してほしいんですけど。
村上春樹だったらそもそもこんな文章書かないし、たとえテーマが下ネタであっても、誰も不快にさせることはなく、相手に有無を言わせない説得力を持ち合わせているだろう。だからこそ村上春樹村上春樹たりえているわけであって。
こればっかりは本当に僕が悪かったと思いますが、でも似てない?村上春樹フェラチオタヌキって。しかも声に出して言いたくなるんですよ、フェラチオタヌキって。上からマリコみたいな語感の良さがあるじゃないですか。上からマリコ、下からクンニ、みたいな。ちょっと何言ってるかよくわからないんですけど。

 

ここまで書いていて、たった今しっくりくる例えを思いついたのでやり直したいと思う。
つまりこういうことだ。例えばもし、もし、僕の書いた文章が、村上春樹ご本人に褒められたとしよう。
するとその瞬間から突然、こいつは一体何者なんだとなり、多くの人に注目されることになる。今までとやっていることは何一つとして変わらないのに、だ。
なんだこいつは!と批判をする人が大多数かもしれないが、中には村上先生のお墨付きならと何一つ知りもせずに手放しで褒めてくる人が一定数湧いてくるだろう。マスメディアによって、過去に僕がインターネットにアップロードした全裸画像が掘り起こされてしまうかもしれないが、もしかしたらめちゃくちゃタダでセックスができるかもしれない。だとしたら村上春樹は神だ。
いずれにせよ、権威のある方の一言で、その日を境に世界が急に変わってしまう。シンデレラストーリーってやつだ。夢があるといえば、夢があるかもしれない。

そこなんだよ、そこ!!申し訳ないが、僕はそんなのは御免だ。誰かに手を差し伸べられるのをじっと待ちながら日々を窓の外の世界を眺めて過ごす、僕はそんなプッシーキャットちゃんじゃない。

だからといって誰彼構わず噛み付く躾のなってない糞馬鹿犬でもない。金や地位や名誉がある人が気に食わないだとか、そういう事を言いたいんじゃない。世間から評価され認められている人にはそうなった理由がきちんとあるわけだし、その人達の才能や今までの努力を否定したくはない。
僕が言いたいのは、著名人の発言や行動が全てが正しいわけではないし、それだけが世の中じゃないってことだ。芸能人がフェラチオ小顔ダイエットで痩せましたと言い始めたら、あんたは誰彼構わずチンポをしゃぶるような人間になるのか?っていう話だ。一体何が良いものなのかは自分の頭で考えて判断できる人間になっていきたい。

 

著名人の発言からしか情報を得ることのできない、アンテナの低い自分を恥じなければいけない。え〜、股間とアンテナは高い方が良いなどとは言いますが……という前口上もあるように、僕たちは更に高く高くアンテナを張っていかなければいけない。誰かに言われないと、足元に落ちている石がダイヤの原石だと気づかない人間になってはいけない。

おっしゃ!アンテナギンギンに研ぎ澄ますために、エロ動画みてこよ!(飽きた)