祖父の話

僕の祖父の話をしたいと思う。

 

 

 

祖父が亡くなって、数年が経つ。丁度これくらいの時期だった。正直な所具体的に何日に亡くなったのかも覚えていないのだけれど、たしか師走に入るか入らないかバタバタと忙しくなるかならないか、それくらいの時期だったと思う。仕事中に母親からのLINEで訃報を知らされた。その時は、LINEでこんなことを知るなんて、時代だなあ……と思いながら仕事を続けたもので、未だに亡くなってしまっているという実感が湧かず、悲しみが涙とともにこみ上げてくるだとかそういうこともない。

祖父とはひとつ屋根の下で暮らしていたわけではなく、車で5分から10分程度で会いに行くことが出来る近くに住んではいたものの、成人してからは一年に一回盆か暮れのどっちかに会うかどうかという感じで、働き始めてからはもっと頻度が落ち、最後に会ったのは亡くなる何年前だったのだろう……と、いつ会ったのかも思い出せないという具合で、気づいたら自分にとってはひどく疎遠な人となってしまっていた。故に未だにいなくなってしまったという実感が湧かず、あまり悲しみに襲われるということはないのだろう。

 

かといって思い出がないのかといえばそういうわけでもない。子どもの時は、とても可愛がってもらい、遊びに行く度に何か買ってもらっていた気がするし、お小遣いもしょっちゅうもらっていた。

何歳だったかは定かではないけれど、小学生低学年の時に、良い学問の神様がいる神社を知ってるからそこに行こう。勉強がもっとできるようになるように。と祖父に連れられた事があった。祖父と二人きりの車中は僕にとってそれはひどく退屈で、どうでもよく、道中は助手席でずっと貧乏ゆすりをしていたのを覚えている。その時にどうしてそんなに落ち着きがないのだと怒られたことを今でも覚えている。自分の中にある初めておじいちゃんに怒られた時の記憶だ。

 

小学生の時、発売の時期から推測するに春休みだろうか。おじいちゃんの家に行った時に、黒い色のゲームボーイブロスというガワが黒色のいわゆる初代ゲームボーイの色違いを買ってもらった事があった。ちょうどポケモン赤緑が出た時期で、コロコロコミックを読んで気になっていた僕は詳しいことを知らずに赤と緑の両方を買ってもらったのだったが、両方をやってみたら中身がほぼ一緒でひどくがっかりしたし、説明書を読まずにプレイしたものだから、レポートという言葉の意味を理解していなくってセーブのやり方がわからず、しばらくの間は毎回最初からゲームをやりなおしていたのも覚えている。

小学五年生の時に、何かの手違いで小学校の児童会の会長になってしまったことがあった。その時はひどく誇らしそうで褒めてくれて、ご褒美だと言ってプレイステーションを買ってもらったこともあった。メモリーカードを買ってもらわなかったので、セーブができず、結局あまり遊ばなかったのだけれども。

 

おじいちゃんは僕が初めての孫だったということもあってか、僕に対してとても期待を抱いていたようで、会う度に将来は何になるんだとか、どうしたいんだということを話しかけてきた。

どういう流れでそうなったのかはよく覚えていないが、自分を一代目将軍徳川家康公に例えて、お前は3代目だから。徳川家光のようになれ、それだけお前には期待しているし、頑張って欲しい。みたいな話を高校生の時にされた記憶がある。

中学の頃から会う度に東大へ行けだとか、東大が無理なら○○大学の医学部へ行けだとか、そういう話をされていたのだけれど、パッとしない成績の中学時代、勉強が嫌いで成績は良くないどころかクラスで最下位を常にキープしていて、模試を受けても当てずっぽうで回答してももう少しマトモな数値が出るんじゃないかというような偏差値を叩き出していた高校時代の僕にとってはおじいちゃんのその発言が次第に重荷になり、会う度にそういったような話をされるものだからいよいよ会うのが億劫になり、何かと理由をつけて訪れなくなり、だんだんと顔を合わせなくなった。

 

結局なんとか大学には入るも、別に人様に自慢できる大学でもなく、さらに大学生になったらなったで学校にも行かず部屋にひきこもりどうしようもない生活を送っていたせいで、卒業後も定職に就くことができずにいた。

なんとか仕事を見つけるも、それがブルーカラーだったものだから、そこまでくるとさすがに諦めがついたのか、久しぶりに会ってもあまりどうこう言ってくるということもなくなったのだけれど、やはりガッカリしていたし、その顔を見てしまったら期待に答えることのできなかった申し訳なさや気まずさが僕の心を支配してしまい、おじいちゃんの顔を見るのも忍びなくなり、益々会いづらくなってしまい、それっきりとなり、そのままこの世を去ってしまった。

 

亡骸を見た時は、子どもの頃の記憶と比べるとすっかり年を取りきり小さくなっており、まるで干からびた猿みたいだと思った。葬儀の時に親や親戚、近所の方と少し会話をして、僕は自分の祖父についてほとんど知らなかったのだなあと思い、それと同時にもう知ることもできないのだと感じ、疎ましく思い避けるのではなく、腹を割って話をしておくべきだったななどと初めて後悔した。

 

今の僕はとにかく祖父に対して、期待に添えなくて申し訳ないという気持ちしかなくて、でも謝りたくても謝ることはできず。また、ごく僅かしかないおじいちゃんに対する記憶であったり、抱いていた感情さえもこの先風化してしまうのではと考えたら、自分勝手ではあるけど、何らかの形にしておきたいと思ったので、こうして祖父への気持ちを綴らせていただきました。