僕のお母さん

今週のお題「これ、うちのおかんだけ?」

 

どうも、母親がいないインターネットの皆さんこんにちは。

はいっ、かけて!母乳かけて!僕に母乳ピ〜ッってかけて!!もっと!もっともっと!!!いいよ、すごくいい!!!!ああ!!!!!!母乳かかってるすごいすごいすごい!!

 

 

いや、すごい!!じゃなくて。本当に。まったくな、お前らは親のスネばっかり齧って、どうせまたソシャゲに課金してんだろ?どうして世界にはこうもクズが多いのか、僕は不思議でならない。かくいう僕も27くらいまではずっとスネをかじっていたわけですが。ワッハッハ!!!!!!!!!!!めちゃおもろいやん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!めちゃパズドラやん!!!!!!!!!!!!!!!!!バーカ!!!!!!!!!バーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

やれ母親がいなくて毎日料理は自分で作って苦労しただの、精液は調味料じゃないだの、過去に母親に性的虐待されてて今でもお尻をつねられると肛門がジュンッとなるだの、母親が精神病で頭がおかしくて晩御飯は米じゃなくて精神安定剤が茶碗に盛られていただの、そういう不幸自慢をして飯を食っていきたいなと僕は思っているわけですが、残念ながらこの親にしてこの子ありという諺(この親とセックスをしたらオマケでこの子ともセックスができるという昔の人の教え)の通り、ごく普通の方で、なんという形容のしようもない。

母親との関係も、毎日のように働いてくれと涙ながらに説得される皆さんと違い極めて良好、いや良好というほど深い関係にもないというのが正直なところでしょうか。今の今まで考えもしなかったけれど、そこまで気に留めてこの人はどういう人なのだろうと観察をしたことがないので、母親がどういう人間なのか僕には説明をすることができない。例えば一緒に洋服なんかを買いに行くこともないし、

銀座でママとデート。ショッピングからのランチ♪

などとツイートをしたこともない。最近生理がこないという相談もしたことはないし、彼氏が焦ってまんこじゃなくてアナルにチンポを誤挿入して以来肛門がおかしいという相談もしたことはなければ、代々家に伝わる伝説のタンポンを母親から継承したということもなく、二人で家で晩酌を交わしたことも今までにない。

こうして振り返ってみると、僕は母親に対して無関心すぎたなと。僕はみんなとは違って母親がいつ処女を喪失したのかも知らなければ、性感帯がどこなのか、セックスは好きなのか、経験人数は何人なのか、スリーサイズはおろか年齢さえも知らない。

あまり自分のことを語らず、セックスの最中も声を漏らさぬようにと歯を食いしばりながら頬を染めるようなおしとやかな女性なのかと言えばそうではなく、かと言って人前でブバッと放屁しガハハと笑い、「まんこが痒くてしゃあないわ!乾いとるみたいやね、あんちゃん水挿したってえや、ほら!自分けったいなホースついとるやん!うわ、黒っ!」などと言い放つような豪快な方でもない。

じゃあどういう人なのか?と問われれば僕はうーん。。。と考え込むきりで、何か言葉が出てくるわけではない。僕が今できることは、やれ料理が雑だの食器の洗い方が甘いだの14の時に拾ってきたエロ本を尽く捨てやがっただのなんだのと約二十年間一緒に過ごしてきて募った不満をぶつぶつと垂れるだけ。

母親のことをまじめに考えてみると、おそらく彼女は僕が知らない所で沢山の苦労をしてきているのだろうなとは思う。何か思い当たる節があるわけではないけれど、そういう人なのだ。子どもの前では決して弱音を吐かず、僕が見てない所で汗水を垂らしながら朝から晩まで働き、きっと苦労しながら半額の商品を買い漁り毎日毎日節約生活をして、下着はヨレヨレで、たまの休みには僕の知らない所で父親ではない男に抱かれ…っておいやめろ!今はそういう流れじゃないだろ!おいコラ!

こうして昔のことを想い返し物思いに耽ると、未だに母親に対して申し訳ないことをしたなと胸がすこし締め付けられることがある。

当時の僕は高校1年生で、人より一足遅れてやってきた反抗期真っ盛り。ギリギリ携帯電話のパケット定額がまだ訪れていない時代。赤黒く血管を剥き出しギンギンに反抗した僕の肉棒はインターネットの反り立つ壁として、数多ものエロサイトを払いのけてきた。この第二次チンポ反抗期のお陰で、僕の携帯電話の月額使用料は度々とんでもないことになっていた。

そしてある日、あわてんぼうのNTTドコモが何度目かの請求額3万円を連れてクリスマス前にやって来てしまい、それが発覚した時には母親にこっぴどく怒られ、怒りに任せて母親が携帯電話を窓の外にぶん投げてしまい、艦隊これくしょん風にいうところの轟沈(ロスト)という事件があった。

丁度その頃の僕といえば部屋のベッドの足が折れ、壊れてしまっていてしばらく布団で寝るという生活を送っていたのだが、その事件の数日後に、携帯電話こと精液放出器を壊されて「こいつは鬼だ。頭がおかしい。僕のチンポを腐らせる気だ。」と母親のことを無視していた僕に対して、そろそろベッドを買わなきゃね。布団だと寝辛いでしょ、今日買いに行こっか。と母親が仲直りを持ちかけてきた。

それに対して僕は、うるせえ!そんなもんはどうでもいいんだよ、金をよこせ、ここにある金品全部だ!携帯電話を買いに行くんだよ!と言い放ったのだった。

今思い返せばひどいものだと苦笑しか出てこないが、性欲とはそういうものなのだ。性欲は時に人を輝かせ、時に人を堕落させ、そして時に人を射精させる。そういうものなのだ。

すると母親は静かに涙を流しながら、僕の元から立ち去っていったのだった。祖父が亡くなったとき以外に泣き顔を見せたことのなかった母親の泣き顔を見ると、僕はなんだかそれがすごく悪いことをした気がしてしまい、ただただ悪いことをしてしまったなという気持ちになった。未だにその時の出来事を忘れることができずにいる。思い返せば、あの母親の涙を見て以来、僕は親に対して生意気な口を利くだとか反抗するということをしなくなった。

というか今になって考えてみれば、せっかく産んだ子どもがそんなド屑になってたらそりゃあ泣くよ。こんなブログ書いてても泣くし、もし僕が親で子どもがこんなブログ読んでたら泣く。つまりお前らは全員親不孝だ、地獄に落ちろ!

そういえば、僕の母親の手作り唐揚げには毎回ケチャップが添えられている。“唐揚げ ケチャップ” “手マン 練習”で検索すればまあまあの件数がヒットするので、うちのおかんだけ?ということはないと思うが、それなりに珍しい部類に入ると思うので、一応これが今週のお題に対しての答えということで。

それでは最後に母親にこの場を借りて僕は一言、言いたい

お母さん、僕はセックスがしたい。と