カツ丼

 僕には病に伏せた祖父がいる。病名はなんだったか。覚える気にもならなかった。余命幾ばくか。医者からはもう打つ手がないといわれ、我が家で終末を待つのみとなっていた。
 祖父とは赤の他人であった。幼い頃から、会ったことなどは一度もなかった。何をして、どう生きてきたのかも知らない。ここ何年かは入退院を繰り返していたらしい。病院にいてもこれ以上できることはなく、最期は自宅で迎えたらどうですかと、体良く病院を追い出された。身寄りが他にはなく、一人で暮らすには不自由がありすぎたため、渋々我が家で迎え入れることになった。

 見ず知らずの、棺桶に片足どころかほぼ全身突っ込んでぎりぎり顔だけ外に出ているような老人が急に家に来る。最初のうちはとにかく居心地が悪く、気まずいものだった。今更何を話したらいいかわからないし、かける言葉も見当たらない。

 祖父は寡黙な人だった。遠い海の向こうの国で生まれ育った人らしく、髪や瞳の色はこの国の人とは違っていた。彼がいつからいったいどうしてこの国に来たのかは知らなかったし、興味もなかった。親の口から祖父の話が出たことは今までで一回もなかった。実は血の繋がりなどない赤の他人だが、金を貰って看取ることにしたのではないか、そう疑ってすらいた。
ちゃんと喋っているところを見たこともなかったので、もしかして彼はこの国の言葉を喋れないのではないか、内心そんなことを思っていた。

 一階の、一番端に位置する、物置として使われていた狭い部屋を急遽彼の部屋に割り当てた。向かいにトイレが有り、僕たちはトイレに行くたびに、姿を見かけることになった。家の誰かが定期的に様子を伺えるので、結果的にはそれでよかったように思えた。
 祖父は毎日何をするでもなく、小さな窓から見える外の日々変わり映えのしない退屈な世界を眺めているだけだった。いや、きっともう満足に体を動かす元気もなく、何かしたくても何も出来なかったのだろう。生きるということの意味を考えさせられた。


 先日、家に来てからはずっと落ち着いていた祖父の容態が急変した。全身を揺らし、咳き込み続け、呼吸が粗くなっていた。
いよいよだと悟ったのか、我が家に来てからというもの家族の誰に話しかけるでもなく、ただそこに存在しているだけだった祖父が「カツドゥーンが食べたい……」と小さく、漏らした。まるで置物のようだった祖父が、だ。
 祖父が家に来てすぐ、興味本位で弟と一緒になって彼に水をかけたことがある。その時も、僕らを見上げるだけで、何かを言うことはなかった。褒められた行為じゃないのはわかっている。僕たちは怒ってほしかったのかもしれない。そうやって、何かをきっかけに、コミュニケーションを取りたかったのだろう。
しかし、祖父はそれを拒んだのであった。それはもしかしたら、今までずっと違う人生を歩んでいたのだから今更無理して関わることもないという、祖父なりの気遣いだったのかもしれない。

 そんな祖父が、口を開き、言葉を発した。カツゥドーン。後でわかったことだが、彼が欲していたのは正しくはカツ丼というものだったらしい。聞いたことのない単語だった。彼が僕たちの言語を喋れたのだという驚きもあった。
 今更なんなんだと思わなくもなかった。しかし、あまりにも弱々しい祖父の姿を見ると、無縁だったとは言え、まあ最期くらいは何かしてやりたい、そう思わずにはいられなかった。

 

 カツ丼とは一体何なのか。誰一人として、それが何かわかる人間は居なかった。カツ丼を食べたい、彼はそう発した。祖父の最後の願いに僕たちはひどく困惑した。

 食事。もはやそのような文化は存在しない。昔の慣習だ。歴史の授業で習ったことがあるが、僕たちはそれを知らない。
生きるために必要な栄養やエネルギーの摂取はカプセルと水分で事足りる。それ以外は許されていない。
平等の名の下に、無料で政府から給付されたそれらを毎日定刻に摂取する、現在食事というものの代わりに施行されているシステムだ。全てが義務付けられている。
人類に等しく健康をなんて謳っているが、実際の所は人民を統制するためのものだと陰ではいう人もいる。一人ひとり含有物が異なっており、国民を使って国が人体実験を行っていると主張する者もいる。真偽の程はわからないが、配給される栄養カプセルに、番号が彫られているは事実である。

 祖父が子どもの頃はまだ食事というシステムが残っていたようだが、残念ながら僕たちには全くピンとこない。
「カツゥドーンとはどんなものですか?」
祖父に問いかける。
「豚肉を揚げ……」
耳を疑った。正気なのだろうか。
「豚肉とは、あの豚のことでしょうか。いや、しかし……」
驚きのあまり言葉に詰まってしまった。僕の目の前にいる人は、豚を殺し、その肉を食べたい、そう言っているのだ。そういった行為が当たり前に行われていたのだろうか。
 この国では、如何なる生き物の殺生も法律で禁じられている。我々は、地球と地球に生存する動植物を保護するために生きている。否、生かされているのだ。人間はヒエラルキーの一番下だとされている。地球に害のある行為は規制され、ほぼ違法行為とされている。我々が日常的に行わなければならないことは、動植物の保全活動と体を使って電気を起こすことだ。


 手持ちのデバイスから、検索してみる。
“KATSUUDOON”
 ……。スペルミスだろうか、何もヒットはしない。いや、そうではないだろう。そんなものがネットで見つかれば、バズを狙って誰かが作ってみたという動画をアップロードし、大騒ぎになるのは目に見えている。問題を未然に防ぐべく、意図的に削除されているのではないか。SNS内も検索してみるが、なにも引っかかりはしなかった。
とすれば、当時の人に聞いてみるか、当時のメディアを探すしかない。昔のメディアと言えば紙媒体があったなと、僕は街で一番の骨董品店を訪れた。


「すみません、紙媒体のメディアって置いてありますか」
「はぁ!?紙ぃ?紙ってまた大雑把な……、新聞?本?」
中年の店員が半ば怒り気味に答える。
「えっと……、本……です」
「本ならあっち。で、どんな?マンガ?小説?」
「考古学の一環といいますか。食事について、色々調べて来いって大学で教授から言われちゃいまして、そういった本なんですけど……」
そんなことを研究している学問があるのかも知らないが、苦し紛れに言い訳する。
訝しげな眼差しで見られてしまう。
「向こう、勝手に探して。あ、あんまりあちこち触んないように」
そう言い、店の隅を指差す。

 四方が本に囲まれている。あまりの圧迫感に息苦しさを感じるし、埃っぽさのせいか、気分が悪くなる。実物の本を見たのは生まれてはじめてだ。ため息が出る。一体どうやって、何を探していいか見当もつかない。
わかっているのは、名前だけだ。辞典や図鑑から当たってみようと、それらしい本を探す。料理図鑑と書かれた本が目につく。料理、聞き慣れない単語である。確か、食事と関係があった単語だ。その本を手にしてみる。ずっしりとした重みが腕にのしかかる。片手では持ちきれない。本というのはこんなにも重いものなのか。
「えーっと、カー……カー、カー、カー、カツゥドーン……。」
ページを捲っていく。料理と呼ばれる様々な物体がイラストや写真付きで紹介されている。
こんなに沢山の種類の料理があるなんて、思いもしなかった。昔の人は、料理以外にすることがなかったのだろうか。そんな事を考えながら文字を追っていく。
ビンゴ。祖父を疑っていたわけではないが、まさか本当に載っているとは。体が高揚した。

 

 一言だけの説明に一枚画像が添えられていた。

 『タマネギの薄切りなどを加え、甘辛い汁で煮つけて卵でとじた豚カツを乗せた日本の料理。』

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ちょっと待ってくれ、待った、待った、待った。
黒魔術か何かか?たった一行の文章なのに、書かれている事が一切理解できない。タマネギ?この緑色のやつのことか?甘辛い汁で煮付ける?豚カツって何だ?卵でとじる?卵って、あの卵?おいおいおい、冗談じゃあない。
 子どもの時にやったゲームを思い出した。モンスターを倒す為の武器を作るために必要な素材をドロップするモンスターを倒すための武器を作るために必要な素材をドロップするモンスターを倒すみたいな、気が遠くなる話だ。思わず頭を抱えた。どれもこれも、聞いたことのないものばかりじゃないか。それに説明不足で、はっきりとしたビジョンがまったく見えてこない。

 情報を一つ一つ、ゆっくりと整理する。知らない単語を片っ端からピックアップし、調べていくことにする。
豚カツ。豚肉を小麦粉・溶き卵・パン粉をまとわせて食用油で揚げた料理。
わけが分からずに、一度本を閉じた。まとわせるって何だよ……。
つまり、この本によれば、まず豚カツをつくらないといけないということになる。ため息が出る。どうしてこんなにも工程が多いのだろう。効率が悪すぎる。エネルギーや栄養を摂取するためだけに、こんなことをしなければならないなんて。
 タマネギについて調べるのにも図鑑に載っておらず手間がかかった。料理ではなく、使われる素材のことだった。ネギ科植物の球根をそう呼ぶらしい。わざわざ球根をほじくって食べるなんて。昔の人は四足歩行で、豚か何かのような暮らしでもしていたというのか。
 そして卵だ。卵が何なのかは流石にわかるのだが、しかし、あの、鳥類や爬虫類なんかが産み付ける卵なのだろうか。一体何の卵を使えばいいかわからないし、載っていなかった。魚の卵だろうか。ヘビでも良いのだろうか。まあ一番簡単に手に入りそうな、その辺に巣を作っている鳥の卵を使うとして、卵でとじるだとか、溶き卵っていうのはどういう意味を指すのだろうか。卵はそもそも閉じているのだから、とじるもクソもない。タマネギと卵を砕いて豚カツとやらの上に乗せて、煮ればよいのだろうか。甘辛いという概念もピンとこなかった。

 小麦粉というものの製粉方法も厄介だった。粉ならば石灰じゃいけないのだろうか。
パン粉に関して言えば、完全に匙を投げるしかなかった。パンなどというものが無いのだ。パンの製造法を調べ、あまりにも無茶苦茶な要求に僕の苛立ちは頂点に達した。これは国家プロジェクトとか、そういった規模で行われなければならない代物である。そもそも小麦粉を生成するのだって大変そうだと言うのに、パン粉まで作れとはどういうことなのだ。どの粉だって大差ないだろう。必要なものリストから、パン粉という文字を削除した。
 一つ問題を解決すれば、次の問題がひょっこりと、顔を出してくる。描かれているイラストには緑色の物体が飾られているが、それについての説明は一切ない。これは一体何なのだ。
 食用油で揚げる。油というのは灯油や石油でも良いのだろうか。そんなものを人間が摂取できるとは思えない。考えるのすら面倒になってきた。揚げるという工程もピンとこないし、バーナーで炙ってでもおこう。豚カツ←バーナーで炙る、そうメモをする。
しかし、肝心の本題はなにも解決していないのだ。肉だ。生き物の殺生が固く禁じられている以上、肉を用意することはできない。思わずその場に座り込む。店員が迷惑そうにこっちを見ていた。

 どうも無理そうである。今日一日無駄にしてしまったな、こんなもののために。そう思い、図鑑をペラペラとめくる。様々な料理というものが色鮮やかに紹介されている。これらの料理も、同じくらい製法が難しいのだろうか。なぜこんなにも種類が存在するのか。よっぽど暇なのか、今よりもずっと豊かだったのか。
 僕は、人類は常により良い方向へと進化してきたと思っていた。草木や花が生い茂り、動物も自由に暮らしている。皆が豊かになっているものだと思っていた。しかし、本当にそうなのだろうか。そんなことを考えながら図鑑に目を通していると、いよいよ巻末に差し掛かる。

 あるページが目にとまった。食生活の変遷についてだ。人類が誕生してからの、食生活の変化が記してある。菜食主義の台頭の一文を目にする。
『菜食主義とは動物性食品の一部または全部を避ける食生活を行うことである。』
これだ。はやる気持ちをぐっと抑えつけ、じっくりと目を通す。ソイミートなるものがあったらしい。これならばなんとかなりそうだった。食べるという行為に使われることを想定されていないとはいえ、植物ならばこの国でもなんとか手に入る。豚肉の代わりになりそうなものを発見し、僕はひどく興奮していた。メモした材料と、自分なりに解釈した製造の工程をもう一度見直す。いける。これなら揃えることができる。祖父を、最期に喜ばせることができる。

 僕は本を閉じ、店を出た。店員の舌打ちが後方から聞こえてきた。


****


 小麦粉の製粉に関しては、気が滅入る様な作業だった。石臼で挽くだなんて簡単にいうが、めちゃくちゃに重労働だ。発電をしていたほうがマシに思えるくらいだった。
大豆を潰し、ソイミートを作った。
卵の使い方には本当に困った。溶き卵と書いてあるから、溶かしてみるかと、バーナーで卵を炙ってみたのだが、いや、この話はもう止めておこう。
 完成した物体の一部を口に運ぶ。ここでも苦労があった。食べ方がわからないのだ。素手で口に運ぶのには向いておらず、大きめのピンセットの様な形をしたものを自分で作らなければいけない羽目になった。
奇妙な感覚が口の中に広がっていく。カツにあたる物体は、ふやけており口の中で崩れていく。不快感が鼻腔を駆け体外へ流れ出る。体が嚥下することを拒む。思わず吐き出した。失敗だ。
 祖父が求めているのがこれではない。それだけはわかった。こんなもの、摂取できるわけがない。
土台無理な話だったのだ。必死に頑張ったところで揃えることができたのは、小麦粉、卵、大豆、タマネギだけ。製造の方法もほぼ推測である。定義されていた物質とは程遠い。

 

 捨てて、全てをなかった事にしよう。そう思ったが、手が止まる。
もう最期なのだ。これが祖父と呼ばれる人との最後の接点。思い返し、それを手に祖父のもとへと行く。
「申し訳ありません。最期にせめてと思い、カツゥドーンというものを作ろうとしたのですが……。ご存知かとは思いますが、この国ではおそらく再現不可能です。他に僕にできることがあったら何でもおっしゃってください。」頭を深く下げる。どんな顔で祖父の顔を見ればよいかわからなかった。

ズ……ズズッ……、ハフっ、ジュルル
ぎょっとした。おそらく彼は黙って僕の作ったものを口に運んだのだろう。
「おいしいじゃないか……」
震えた声が頭上から聞こえる。おいしいという感覚を僕は知らなかったが、反応から、祖父が喜んでいるということをなんとなく察する。
 ありえなかった。決して食べるということなど、できるとは思えないものであった。

 ああ……。そういえば、完成直前に、半ばやけになり、仲間内で流行っている粉末状のドラッグを、勢いよく振りかけたのだった。すぐ吐き出したので僕はなんともなかったが、それを摂取した影響で祖父はトリップしているのだろう。
ずるずると、鼻水と一緒に啜り込んでいく。
おそるおそる顔を上げ、祖父を見ると、涙を流しながら丼を啜っていた。肩を震わせ、再び口を開いた。
「うめぇなあ……このカツうどん」

 

かつ丼とカレンダー Advent Calendar 2019

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