見抜き

ラグナロクオンライン・某鯖にて

♂:あの、すいません、お願いが。

♀:なにかな

 

♂:見抜きさせてもらえないでしょうか・・・?

 

♀:見抜き?

♂:はい。

♀:あー

♀:判った、そういうことか・・・

♂:いいでしょうか?

♀:うーん。

♀:たまってる、ってやつなのかな?

♂:はい

♀:しょうがないにゃあ・・

♀:いいよ。

 

 

ピクシブ百科事典より)

 

あぁあああああああ!!!!!!!!!!!!!!!ひより、ひより、ひより、ひより!!!あ……ア……ぁぁああああ!!!!!!!!!!!(シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ)んっ!!!!!……ふぅ。

 

多くの方が、古典文学として語り継がれている上記の会話のスクリーンショット画像を目にしたことがあると思う。

見抜きという文化がある。見抜きとはオンラインゲーム等において、シコれる!と身体が脳に訴えかけてきた女性キャラクターを見ながらヌく行為である。

残念ながらこちらのスクリーンショット、一部ではネタとして受け継がれているような気がする。僕自身、最初はそう受け取っていた。だがしかし待ってほしい。いったい何処に笑える、馬鹿にできる部分があるのだろうか。

見抜き、何も恥ずかしいことではく、笑い事でもない。ゲームの中にいる可愛い女の子を見ながら妄想に耽りマスターベイティングする。手を差し伸べられたからこちらも手を差し出す、それと同じだ。可愛い女の子キャラが目の前にいるから、シコる。そういうことなのだ。女の子のパンチラを生で目撃した瞬間、その光景を目に焼き付け脳内に保存し、忘れてしまわないように即座に目を閉じて、そのまま手探りでなんとか公衆トイレの個室までたどり着き、脳内に焼き付けたパンチラでシコる。誰だってそうするだろう?見抜きとはそれと同じことなのだ。CPUではなく、画面の向こうにそのキャラクターを操っているプレイヤーが実在するという点が非常に大切なのかもしれない。実は中身が中年男性なのかもしれない、それが興奮を引き立てる、そういうことなのかもしれない。僕のような未熟者が理解できるようなヤワな世界ではない。見抜き、それは非常に奥深く、学問的である。

 

確かにその様を第三者の視点で、俯瞰したら、ひどく滑稽な姿かもしれない、笑えるかもしれない。でも、一時期サラダ油をチンポに塗りたくってオナニーをしていた僕には一ミリだって笑えない話だ。行為は違えど射精に対して高みを目指し真摯に向き合ってる同士がいた。笑うなんてとんでもない。僕にできることはただ一つ、何も語ることはせず、ただただ互いを称え合って熱く抱擁を交わしたい。しょうがないよ、だってサラダ油塗るとめちゃくちゃエッチなんだもん。

これだけははっきりと言いたい、性行為だって客観的に見たら雄が雌に乗っかり物凄い勢いで腰を振っているという滑稽な絵面なわけであって、ただ、(インターネットには童貞しかいないけど)世の中的にはみんながやっている行為だから、普通のこととされており、それを俯瞰する人がいなくて笑いにならないだけ。

よって我々は誰も見抜きという行為を馬鹿にすることはできない。むしろその豊かな想像力と、キャラクターに対する愛情に僕たちは黙って親指をグッと、サムズアップさせ、敬意を払うべきなのだ。

 

何かを否定したり、馬鹿にするのは簡単なことだ、誰にだって出来る。見抜きに限った話じゃない。その喋り方は変だ、その格好はおかしい、そんなの変だよ、普通じゃない。そうやって自分が理解できないことを切り捨てるのは十代までにしておいて欲しい。

その行為は己の敗北を認めているだけなのだ。

自分とは異なる文化や思想を持つ相手のことを理解するだけの度量を持ち合わせておらず、またわかろうとする努力もせず、思考を停止させているだけ。思考停止させて相手を批判するどころかあまつさえ見下して集団で馬鹿にしようと働きかける。なんと幼稚で恥ずかしい行為なのだろうか。

 

誰にも言えないセンズリをこくようになったら一人前という言葉があるように、誰かに理解されることを求めて生きていては半人前。誰にも理解されないセンズリをこき、初めて疎外感を感じ、そして他人を理解しようという思いになれる。そういうことなんですよ。まあそんな言葉初めて聞いたんですが。

社会というものは自分だけで構成されているわけではない。今まで自分が生きてきて遭遇しなかった文化を持つ人と関わることなど生きていれば何度でもあるだろう。

そんな時に僕達がすることは、まず相手を知ろうと心がけることだ。その気持ちが思いやりっていうやつだ。

食事の前に長々と神に向かってお祈りをする文化を持っている人を笑う人はいないし、一日に何回もメッカに向かってお祈りを捧げる人を笑う人だっていない。

ということはだ、ということは、中には女性器と対面し、いざ挿入するぞとなったとき、ギンギンに陰茎を勃起させながら、ちょ、ちょっと待って。などといい、女性器に向かって二礼二拍手一礼をしてから、よし挿入だ。そういう人だっているかもしれないし、そういう人がいたから何だという話なのだ。見抜きという行為だってそうだ。

自分の理解できない文化風習を笑ってはいけない。むしろきちんと敬意を払うべきなのだ。この世の全ての見抜きにリスペクトを。

少しでも多くの方が、他人を理解できるようになり、誰かが誰かを見下すという世の中じゃなくなることを願い、僕からもサラダ油を……いや、今日は特別にオリーブオイルをチンポに塗って擦るという形で世界へ祈りを捧げさせていただきたいと思います。