そこに愛はありますか?

とっても暑いですね、夏ですね、ついついアイスやら、棒切れやら、肉棒やらを頬張っちゃいたくなる季節ですね。ってなるか〜〜!!!!!!フェラチオやめろ〜〜〜〜!

 

などという夏に向けたヒンヤリなテイストと共に本日はお送りしたいと思います。

夏はスベっても、夏だし涼しい方が・・・って言えば許されるからサイコー!

ナイトプールの水飲み干して〜〜〜〜!!!!

 

 

まあなんつうんですか?センズリっていうの?マスターベーションていうか?チンポをな?ギュッと掴んで上下にごっしごしと擦りたくるんすわ。いやね、僕だってそんな好き好んで自慰の話なんてしたくないんですよ、どちらかと言えば、森とか湖の話とかしたい。
「きゃー、静かで綺麗な森。あっ、見て見てぇ〜!ほら〜〜!この木なんてどうかなっ?すっご〜〜い!黒くて太くって、おっきぃ……///

なんだかえっちな気分になってきちゃったな……よーしっ、決めた!私今日はこの木にするぅ! 丁度いい具合に枝もはえてるし!

よいっしょ、よいしょっ!エイッ!ここにこうやって縄をかけてっと。

ぐるぐる、ギュッギュ!ギューッ!しっかりきつ〜く結んでから、ここに、首を通してと。。。よーし、あとは勢いをつけて・・・エイッ!!!」

 

おわり

おわりじゃねーよ、タコ。自殺してどうすんだっつーの。
話がまるで僕のおちんちんみたくやや左に逸れてしまいましたが、本日は真剣にみんなと愛、ひいてはオナニーについて考え直したいなと。

 そらあ世の中には「いや、オナニーとかする必要ないし。」みたいな輩もいるでしょうよ。

そういう奴はファック・・・ファック・・・ファックファックファックファックファックファックファックファック ファックファックファック!!!!!!!!(この間わずか1秒)

あぁ、戦国時代にタイムスリップして刀で刺し違えてやるか、薙刀でメッタ刺しにしてやりてえよ、許せねえ……。そもそもセックスで忙しすぎてオナニーする暇がないってどういうことだよ?はぁ?バカにしてんのか?
だって無茶苦茶じゃないですか、そんなの。テスト勉強忙しいから今日は飼い猫のイラマちゃんとチオちゃんにエサあげない!って言うようなもんだよ。そんな無茶がまかり通るわけないじゃないですか。イマラチオはさ、飼い主がサンマくれるのミャアミャアって……待ってるよ?

いや、別にね、セックスしちゃいけないとかそういうことを言いたいんじゃない。ただ、セックスのしすぎでオナニーが疎かになっているのではないでしょうか?と。僕はただただ、それだけを訴えかけたい。


愛とはなにか?それは「生と死」と肩を並べるべく、我々人類が自分たちに問いかけ続けてきた永遠のテーマであろう。ひどく曖昧で定義付けが難しいものだ。 
何世紀も前から人は愛について、ときに激しく口論で、時には静かに相手を諭すよう、またある時は指先で右乳首をそっと撫でながらもたまにギュッとつねって陰茎を膨張させながら語りあい、考え合い、そしてきっとこの先もそうしていくだろう。

顔面騎乗、言葉責め、唾かけ、SMプレイ、ペニバン挿入と、愛には様々な形があれど、結局のところ誰かからもらいうけ、それを誰かに与えたりだとか、時には誰かと育んでいく一連の流れを愛と呼ぶのではないかと僕は考えている。

なんていうか、見えないキャッチボールとでも言うんでしょうか。精液というボールをヴァジャイナというキャッチャーミットに投げるんですよ、ていうか投げたい。今私のバッティングマシーンがそう申しております。

 

そんな愛の曖昧さを利用し、

「愛しあっているから付き合う」、「愛されているからセックスする」、「愛しているから中に出す」、「愛のないセックスは悪だ」、「愛してるか ら、愛してるから、ね?先っちょだけ入れさせて!」、「愛してるならアタシのうんこ食べてよ!」などなどと口を開けばキリがなく、愛にまみれていらっしゃる皆様に僕は一言申し上げたい。

お前らシコってっか?自分を満足に愛せない人に、他人を愛せるわけがないじゃないかと。

 

えっ、ちょっと待って!さっき、愛はもらって与えるキャッチボールだとかなんとかって意味不明なこと言いましたよね?自分を愛すってそれじゃあ矛盾してない?と、そうおっしゃる方もいるかもしれない。

簡単なことです、自分でボール(精液)を投げて、自分でキャッチする、そういう一人キャッチボール。それが自己愛。つまるところ、せーしキャッチ ズリキュアことオナニーです。つまり自分を愛するということはきちんと成立する、オナニーに耽るということだ。


十中八九、我々はセックスなんかよりも先にオナニーという扉をコンコンとノックし、思春期という教室(ここは風俗店でも可)へと入っていくわけですよ。
そりゃあ中にはオナニーなんて行為を知らずに、生まれて4秒でセックス!しちゃう人もいるかもしれない。けど、そんなのよっぽどの異端児ですわ。買ったばかりのiPadで何よりも先にエロ動画サイトにアクセスしてiPadの画面に精液かけて、ふふっ綺麗な保護シール貼れたな……なんて恍惚とした顔で満足しているような先鋭部隊ですから、えっ、いや、僕じゃないです。今のは僕の話では決してないです。まあ兎に角、今回はそういう人たちはひとまず置いときましょう。

セックスよりも先に味わう亀頭が酔いしれるほどの美酒、オナニーとは、一体なにか?それはつまり一時の快楽を求める手段であるが、自己愛と呼んでも差し支えないだろう。
自分の性器を刺激し続けて、果てるなんて、自分のことを愛してなきゃできやしない。

だってそうだろう?嫌いなやつの性器を触れるかっていうんだ。

日本語では自慰という表記ができる。字面だけを見ると、僕はひどく惨めでみっともない言葉だな思う時がある。だがそれは間違っている。 自らを慰めて安心させるから自慰。自分に対する愛がなければ自分で自分を慰めて安心することなんてできない。自慰とは自己との対話なのだ。チンポをシゴキながら自分に語りかける。お前最近調子はどうだ、元気でやっているようにみえるけどさ、この前のあれは辛かったよな……AVみて元気だそうぜ……ここの言葉責めのシーンさ、めちゃくちゃチンポに響くじゃん……。それが自慰なのだ。

なんだ、自慰って最高級の褒め言葉じゃないか。

 

僕たちは自然と、他人への愛云々よりもまず先に自己愛というものを学んでいたのだ。

そう考えたら、なんだかオナニーがとっても崇高なものに思えてこないだろうか。いや、実際のところオナニーはとてつもなく崇高なものなのかもしれない。そもそも、オナニーなんて四文字で片付けちゃう人が多いけどさ、オナニーってそんなもんでよかったっけ?
そんなさ、学校とか会社が終わって、帰宅して、とりあえず一服しますかみたいな感覚でエロ動画みながら壁だの床だのにピャっとかける。待って待って待って、そんなおざなりでいいの?自己との対話だよ?自己愛だよ?

いや確かに時間は有限だ。ほかにもやりたいことやらなきゃいけないことが沢山有るかもしれない。けどそれでいいのだろうか?
自分を愛すること、自分自身と向き合うことすらおざなりになってしまっていたら、相手を愛することだって満足にできやしないに相違ない。


考えてみてくださいよ、「私って本当に醜い!醜悪!存在しない方がいいの。ゴキブリ以下だわ!なんで生まれてきちゃったんだろう。。。」なんてことばっかり言ってる人に「でも、あなたのことは愛してる」だなんて言われたってしっくりこないでしょう?チンポ勃ちます?は?ですよ、は? そんな人のこと愛せます?
「ダメ、私って本当に気持ち悪いから。私とセックスするってことは獣姦みたいなもんだよ。それでもいいの?」なんて言われて勃起できますか?

あー、待った。待った待った。いや、僕の文章読んでる人に限って、そういうこと言われても勃起できる人ばっかりだったりするからな。道理が通らないから本当に困っちゃうんですが、一般的には無理なんですよ。そういうことにしておいて下さい。話が進まないんで。つまり自分を愛するってことは他人に愛してもらう際にも大事なわけです。

しかし、なんでこんな異常性癖者ばっかり集まるんでしょうか、疲れるわ本当に。

 

いかに、自分を愛することが大事か。
もちろん、過剰な自己愛、過剰なオナニーは禁物。だが、自分を愛することをおざなりにしてはいけない。

自分のことを愛せない人に、他人を愛せるわけがないじゃない! オナニーもろくにできない人に、相手を喜ばせるセックスができるわけがないじゃない!

僕たちは惰性で毎日オナニーしているかもしれないけど、そうじゃない。 それは間違っている。

サッサッサッのトントントンみたいなお手軽で済ませてはいけない。

オナニーはそうじゃないんだ。オナニーはセックス以上にナイーブでデリケート。

そしてそれがセックス、ひいては愛へとつながっていく。

よーく耳を澄ませば、ちんこの声が聞こえる。祇園精舎の棒の声。
もっと僕たちはオナニーと真剣に対峙しなければいけない。

これを期に、初めて味わったオナニーの感覚をもう一度思い出して、心をこめてオナニーに耽ってみては如何でしょうか。

あなたのオナニー そこに愛はありますか?