グッバイセックス、ハローセックス

最近の僕はというと、どうもインターネット、というかブログ上で、セックスをしたいという気持ちを出しすぎてしまっているなと、今日反省した。僕は間違っていた。

 

まるで帰り道にエロ本が落ちているのを見つけてしまった小学生のようにただただ気持ちだけが先走っていた。小学生の頃、クラスメートから、ハウトゥーオナニー講座を受講し、チンポをな、こう上下に擦るんだよ!(シュコシュコ)と教わり、そんなことするなんて道徳に反する!とその時は思ったものの、その数日後に拾ったエロ本で好奇心に勝てずマスターベーションをカマした僕は、まだ幼すぎたがゆえに射精をすることはなく、ただ一人部屋で痙攣ともとれる震えに包まれながら多幸感に浸っていた。サイコー、その一言に尽きる。オナニーはサイコーだ。

精通なんか迎えなくたっていい、君と僕とのおちんちん、握り合えば笑顔になれる。そんな歌詞もあったっけな。。。

っておいィ!何の話!?これ何の話!?

そもそもの話、見ず知らずの人が書いているアイワナセックス!という文章を読んで、いったい誰がミートゥ!レッツエンジョイ!(シーハーと空気を吸いながら、オゥイエスイェエス!!と喘ぎつつ、自分でクリトリスをがんがんと擦る)となるのだろうか。

恥ずかしながら、ここに辿り着くまでに実に5年近くかかってしまった。だが、ここまでくればもうゴールは近いのだろう。だから僕はもうセックスをしたいという言葉を口にするのは止めにしようと思う。

ようは簡単な話で、日本という国では、お金をくださいと人々に乞うても、お金をくれる人はそうそういないのだ。むしろそれは逆効果で、こいつは一体何を言っているんだ図々しいと反感を買ってしまう。努力しているのに、報われないという無様なさまを見せ、同情を誘い、金を捻り出させる。こうするべきなのだ。

だから僕もセックスをしたいという気持ちは今後ひた隠しにし、貧困に喘ぎながらも健気にブログを更新する男性として、やっていきたい。そうやって女性から同情と興味を買い、この人可哀想だからセックスしたろと思わせる、完璧だ。パーフェクトすぎて夕日が眩しい。

 

実際にインターネットを利用しての、これはおそらくだが、僕の中で思いつく最短でのセックスルートは、セックスをスポーツとして捉えている女性と出会うことだろう。これは良い。小麦色の肌をしていて、スポーティーで、パイパンだと更に良い。愛液がめっちゃ滴っていて欲しい。舐めたい。そう、セックスはスポーツなのだ。互いの呼吸を合わせて、互いを高め合い、快楽の頂点へと導く。最高だ。想像しただけでもう最高だ。もうさ、シコってきていいかな?一回シコらねえよやりきれねえよ!小麦色でスクール水着着てるとか最高だろ、チンポ捩じ切れるぜ。

だが現実はそう甘くはない。悲しいかな日本の教育が遅れているせいで、なかなかセックスがスポーツだという価値観が浸透していないのだ。日本人がいつまでたっても英語が喋れないと英語教育を嘆く前に、日本のセックス観について嘆くべきなのである。性交渉に理由を求める、それが間違っているともう何百回と僕は言ってきた。セックスに理由なんていらない。呼吸をするようにセックスをしろ。俺の前では処女であれ。

 

そういうわけで僕はブログを通して、女性に対して、同情を誘いつつ、まあこの人とセックスしてやってもいいかなと、つまりセックスをするに値するなと思わせなければいけない。そして、それに対する答えは、決してブログを通じてセックスをしたいと公言することではない。女性にメリットがあると思わせなければいけないのだ。その難しさたるや、ああなんて現実は酷なのだろう。575という僅か17文字で表現しなければいけない俳句のように、シンプルなことほど難しい。

昔に、女の人はYEN(イェン)というワードを耳にすると脳髄に電撃が走り、恥部が結露すると聞いた。そしてその結露した液体を優しく採取して固めたものが純露という飴なのだと。最高かよ、毎日舐めさせてくれ。

つまり女の人はお金が大好きなのだと。お金を持っているだけでセックスができるのだと。お金こそが女性を惹きつけるナンバーワンの道具。だが悲しいかな僕に財力はない。財力がなければ人様に見せるような面構えでもない。だからこそこうやってブログなんてやっているんだろう。悲しすぎるわ殺してくれ。

自分自身がセックスをするに値すると思わせるに際して、金も顔もダメならやはり内面しかない。内面に好意を抱いてもらう、これだ。

ちょっぴり破天荒でエッチだけどどこかそそっかしくて目が離せない、そういう男性と、世の女性ってのは、多分だけどきっとセックスしたいなって子宮規模で考えるんじゃないかな。

 

内面に好意を抱いてもらうなんて簡単に言ってはみたものの、実際どうするかといえば、下手なチンポも数撃ちゃアナル(射精が下手でも、穴という穴にチンポを挿入していけばいずれは洗浄していない肛門に入ってしまい、チンポがうんこ臭くなってしまうという諺)と言いますし、途中で飽きずに気長にやってくしかねえんじゃねえかなって。まずはブログを見てくれる人、そして僕に興味を持ってくれる人を少しずつゲットしてくしかねえなって。それでたまに壺とか絵画とか売ったり、セミナーとか開催して儲けてえ。とにもかくにもそこが第一歩。そこから始めていこう。僕に興味を持ってくれる人が仮に100人いたとしたら、きっと一人くらいは物好きがセックスしてくれるやろ。な、ホンマ頼むで。

だからいっぱいブログを読んでくれる人を増やしていこう、そしてゆくゆくはコメント、嗚呼、コメントってえやつがつくと最高だ・・・。もしブログにコメントを書いてくれる女性がいて、その女性と会う機会があるとしたら、僕は彼女に耳元で囁くようにコメントを読んで貰い、それを聞きながらシコりたい。そして、射精した僕を見て、蔑んだ目で口汚く罵って欲しい。そしたら多分もう一回射精する。

だからといって、コメントを乞うような文章はクールじゃない。多くの人が見に来てくれるように媚びへつらうような文章も食えたもんじゃない。男っていうのは背中とチンポの筋で生き様を語るもんなんだ。決してケツの穴をかっぴらいてここ掘れワンワンと媚びへつらう真似はするべきじゃない。

大事なのは真摯な気持ちだ。真摯な気持ちで文章を書く、時にそれは愛をしたためた恋文のように純粋で、時に自身の過去を赤裸々に語り涙を誘い。そうやって渾身の力を込めてブログを更新して、僕の内面を好いてもらうしかない。そうしたらもうマンのコにチンのポをスルー(through)よ。

サイコー、だな。

僕はもう二度とセックスしたいだなんて言わない。きっとそれがいつの日か実を結んでセックスへとつながっていくのだろう。メビウスの輪の上でシコり歩みを進めていればいつかは自分の出した精液へと辿り着く。。。

いや、何を言っているのか僕にはまったく意味がわかりませんが。

まあそういうわけなので、心機一転、頑張っていきたいと思いますわ。

さようならセックス、そしてこんにちはセックス。また逢う日まで